アルク
地球を駆けるニッポン人
有希屋良
Yukki Yaura アーティスト 屋良有希
日本の伝統美をロンドンから発信する多才な芸術家
映画「枕草子」の中で人間の体に書をしたためた芸術家は消えゆく日本の伝統美を後世に伝えようと心に決めた。
一作ごとに特異な美意識を徹底的に追求し、熱烈なファンを持つピータ
ー.グリナウェイ監督の映画「枕草子」(1996年)は、全編、人の肌に書かれた書が画面を覆う官能的な作品だ。「私は、肉体と文字という、限りない魅力を感じるふたりのものを結びつけたエロティクファンタジーを作った」と
グリナウェイは語っている。ロンドン住在の書家であり画家である有希屋良さんは、この映画の要となる書を担当した。
「グリナウェイ監督の最初のイメージは、剥がされた人の皮に書を書くというもので、私が監督と会ったころはまだ、どんな話になるのかわかりませんでした。撮影は京都と香港で1週間づつ。ルクセンブルグで40日間かかりました。小さい人でも、体の上から下まで書くのに3時間かかるのです。撮影の前に書き上げて、撮影中は付き添いますから、朝5時から夜の10時までずっとでした。しかも、墨ではなくボディペインティング用の素材を使ったので書きにくくて、、、。ご飯を食べるよりも眠りたいと思うような仕事は初めてでした。」
グリナウェイのこだわりも強かった。「彼のテキストを(日本語に)翻訳したものを書くのですが、日本の文字が読めなくても、首にはどの文章、腕にはこの文章ということを納得しないと絶対に使わない。そのような哲学を知ったことなど、経験としてはものすごく面白かったけれど、映画は楷書が主で
思いどうりにはいきませんでした。」
描く書く仕事は「幸運」がもたらしてくれる
有希さんは、これまでバービカンセンターやロイヤルフェスティバルホール、国立劇場などで個展を開き、サザビーズやクリスティーズのオークションにも出品してきた。水墨ソサエティーを開設し、さまざまな催しで水墨画のデモンストレーションを行ってきた。BBCの日本語教育番組でも書を書く仕事をした。フレデリック.フォーサイスの依頼で自宅に水墨画の壁画やグリーティングカードなども描いた。「今年は5ヶ月ロンドンを留守にしました。イギリスの南にあるチャネルアイランドに住む富豪の邸宅で、40メートルもある壁画を描いたのです。ガスマスクまで使って、すごく大変でした。その間にもミュージシャンのマイケル.ナイマンのショーに出るためにロンドンに戻ったり。」「洋画家だけでなく、日本画家の方達もいらしゃるのだけれど、それでは食べていけない。でも、私も『成功した』なんていうのじゃないのです。だれも私の知らないじゃないですか。ただ仕事ができるのはラッキーだからだと思います。」有希さんは屈託なくそう答える。
小さいころから芸術の英才教育を受ける
絵を習い始めたのは3歳の時、書は6歳で、日本画は12歳で始めた。書家である母の希望だったという。
「小さい時に先生にきれいなものを描きなさいといわれて、7色に光るトカゲを描いて怒られたことがあります。私にはすごくきれいだったんですが。型にはめられることがだめでした。母は夜になると毎日書の勉強をしているのですが、その姿を見て、子供心に偉いなー(自分も)習いにいかないと悪いなーとおもっていたのでしょうね。」
画家になることは早くから決めていた。大学卒業後、絵を教えるかたわら、海外に観光旅行に出かけた。
「フランスでもニューヨークでも何のインスピレーションも沸きませんでした。でもちょっと立ち寄ったイギリスでは、前に住んだことがあるような気がして驚きました。」数ヶ月後ロンドンに戻り、その数週間後には、ハロッズのアートリフレクッションギャラリーで1年契約で売り出された、それを見た別のギャラリーが取り上げ、次にバービカンオリエンタルミュージアム
で個展が開かれ、仕事が発展していった。アーティストヴィザを取り暮らし始める。当時は日本画と洋画が混ざった独特の作品を描いていたが、注文に
応じているうちに、日本画が中心になったという。
ロンドンで暮らし始めて間もなく、イギリス人の夫と出会い結婚、フラットの中の壁いっぱいに壁画を描いた。描く事への欲求は半端ではないのだろう。結婚後、2年間ビジネスは夫に任せ、ひたすら描き続けた。
「そのころ私はほとんど英語は話せませんでした。また、5年間は、日本の本ばかり読んでいました。あるとき夫にすこしも英語が上達しないと怒られて、、、、。自分でビジネスしなければならなくなって、それで日本語の本は読まないようにして英語だけを読むようにしたのですが、ヂスカッションができるようになるまで、とても苦労しました。」
イギリスは居心地のいい国だと有希さんはいう。イギリス人の生真面目さは日本人によく似ていると思うそうだ。「人には合うところと合わないところがあるのだと思う。たとえば藤田嗣治などのように、日本では認められなかったのに、海外に出て認められる人ってたくさんいますよね。日本人でなくてもロンドンでは駄目だったけれど、ニューヨークに行ったら花が開いた人とか。自分がどの国に合うかのか、もっとみんな歩いてみればいい。それでやっぱり自分には日本が合うと思ったら、帰ってくればいい。」
その一方で彼女は江戸文化が大好きだという。「今の日本画はパネルできちんと枠組みをして、顔料を積んで描きますが、江戸時代は絹や紙に直接描いて表具するだけの簡単なものだった。日本画は明治期にフェノロサが来た時代から変わった。日本では音楽も洋楽だし、美術でも水墨画は教えません.明治時代に教育方がかわってしまった。インタビューでどうして日本の学校では日本の伝統のものを教えないのかとよく聞かれます。教育が変わってしまったのだからしかたがないのだけれど残念なことだとおもいます。」
取材 杉山春
取材 杉山